長徳寺
 このお寺は,平安時代の長徳年間に建てられました。これが,お寺の名前になったそうです。
 阿弥陀堂は鎌倉時代の建築といわれ,屋根は室町時代の終わり頃にふき替えられましたが,その屋根がまた傷んで,昭和9年(1934年)に全部取り替えをしました。取り下ろした古い瓦は,裏の竹やぶに重ねられそのままになっていました。後になって入田整三という人が,この瓦の中に絵や文字が刻まれていることを見つけ,「画説(東京美術研究所刊:昭和14年2月号)」に紹介し,にわかに注目を集めました。この時,42枚の絵瓦が見つかり,そのうちの36枚が丸亀市文化財に指定されました。
 絵瓦という言葉から,屋根の飾りかと思われていましたが,「がんぶり」という半円筒形の瓦の表に文字や絵が描かれているもので,いったん屋根を葺いてしまえばもう下から見えるようなものではありません。
 瓦の形ができ,これを干す前に,細い棒か釘のようなもので彫りつけた線描きで,器用に仕上げられています。これらの絵にどんな意味があるのか,どういう目的で絵を入れたのか,よくわかっていません。
 砂金袋・魚・うり・簑傘の人物・ホラ貝・なぎなたを振り上げたカニなどが描かれています。
 ある1枚には,「天文14年(1545年)5月26日始之,本願両人(ほんがんりょうにん),入江源七郎宗覚(いりえげんしちろうそうかく)生年38也 三郎衛門道繁(さぶろうえもんどうはん)生年43也」の文字があります。
 この瓦の寄進者だろうと思われます。
 また,他のあるものには,「山城上京の住人,松木源太夫,ほせんこしまたいむら,しはく乃(塩飽の)山井坊(長徳寺の別称)田中様(将?田中は長徳寺初代総代の人)」という文字が見られます。

(参考:「地域から学ぶ本島の歴史と文化」本島小学校昭和57年刊)