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人名制 織田信長は,堺や兵庫の港を治めるため塩飽の船乗りの力を借りたので,朱印状により1577年に特権を与えた(「塩飽勤番所」のページ参照)。豊臣秀吉も,朝鮮出兵の力を借りるため,1590年,塩飽に朱印状を与えた(「同ページ」参照)。それによると,島民650人に1250石の島地を与え,船方に任命し,海上輸送の勤務を与えた。この人たちを「人名」といい,代表者を「年寄」といった。 この年寄の墓は,「碑」のようなもので,人骨は埋めてなく,逆修(ぎゃくしゅう)といって,その人が生きている間にその子どもたちが立てることが多かったようです。 もっとも大きなものは,高さ3.06m,幅0.94m,厚さ0.44mもあり,年寄の権力がいかに大きなものであったかを知ることができます。また,形は造られた年代によって少しずつ異なり,下方の模様も蓮花や狛犬(こまいぬ)など珍しいものがある。これらの墓は,道端のよく目立つところに建てられているが,これは島内の人々に参ってもらうためだそうです。県下でも一番大きいといわれる五輪塔もあります。 「宮本家の墓」(国指定文化財)・「入江家の墓」(国指定文化財) |
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(参考:「地域から学ぶ本島の歴史と文化」本島小学校昭和57年刊)
Photo by K