![]()
|
|||
![]() |
本島の泊というところに,「木烏(こがらす)神社」があります。ちょっと変わった名前だと思いませんか?実はこの神社にはある伝説があるのです。 日本武尊(やまとたけるのみこと)が,大和朝廷に従わない人々をせいばつしに,日本各地をまわっていた頃のことです。瀬戸内海に大きな船を飲み込んでしまう悪魚がすんで,人々を苦しめていました。(この悪魚とは,実は海賊のことでした。)日本武尊が,この悪魚を退治しようと瀬戸内海を渡っていると,ものすごく深い霧が出てきました。そのとき,どこからか一羽のカラスが飛んできて,船の案内をしてくれて,飛んで帰ったそうです。そこが本島の泊だったそうです。そのカラスを神社にお祭りしたのが木烏神社というわけです。 |
||
![]() |
木烏神社には,正面に大きな「鳥居」があります。これは,寛永4年に,年寄の宮本半右衛門さんによって建てられた物です。 鳥居の特徴は,笠木が丸まっていること,柱の角に丸みがあって下にくるほど太くなっていることだそうです。また,柱の下に亀腹(かめばら),貫(ぬき)の間の楔(くさび)がないことも特徴です。これは,この土地が砂地であったため,亀腹のような柱の土台のくつ石を作らず,柱を3尺くらい下まで埋めてあるそうです。これを「はり石」といって,周りから長い大きな石ではらせ,もたせていたそうです。柱の下を掘ってみると,レンガが出てきたことから,建て替えられたということも考えられるそうです。また,この鳥居は,遠い薩摩(鹿児島県)の石工によって造られたということが,柱の文字によってわかります。 |
||
![]() |
昔,木烏神社の境内に「制札場(高札場)」と呼ばれる掲示板がありました。間口5.5m,奥行き1.8mの建物で,江戸時代に勤番所から塩飽7島の総代に御触書(おふれがき)を出し,それを貼って人々に知らせていました。 本島では,甲生・大浦・福田・尻浜・生浜・笠島にもありましたが,その中でも笠島と泊のものは大きかったそうです。現在残っているのは泊だけになってしまいました。昔は,西側の土塀はなく,そこから奥の板壁に貼った御触書を見ていたそうです。北側の入り口も開き戸があったそうです。ここの修理は島内の人々のお金でしていたそうです。 掲示された御触書の内容を見ると,「1 盗人ならびに悪党これあらば,さっそく申し来るべく候。 1 鉄砲みだりに打つべからざる事。 1 道・橋は油断無く修理つかまつるべき事」などがありました。 |
||
![]() |
木烏神社の左奥に「千歳座」と呼ばれる芝居小屋があります。1862年に建てられ,入母屋造りで,北・西・南の三方にひさしを指しています。この建物には,回り舞台があり,これに「ならく」の出入り口がついていたり,天井には「ぶどう棚」,正面の板部分は突き出し舞台になるなどの仕組みになっています。 ○ちょぼ床のらくがき 「文久2年竹本宝清・鶴沢龍八両人相勤申候」とあり,竹本律太夫・竹本申太夫・竹本酒太夫・竹本茂太夫,青木勘太?之己次など,こけら落としの時のお囃子方の名前が書かれています。 ○地芝居 村の若い人たちが,お盆のあと芝居の練習を始め,10月の祭りの日に芝居をしました。練習は,振り付け師を呼んで,30日から40日くらい行い,道具方,幕引,役者の人たち15人ぐらいは島の人たちで,出語(でがたり),囃子方(はやしかた),床山(とこやま)の人たちは,プロの人たちに頼んでいたそうです。そのため,見物料は無料でしたが,知り合いの人に花を打っていました。花は「1000びき,500ぴき」と読み上げていたそうです。 ○受け芝居 春の麦の刈り入れ前に,島外から船で役者が渡ってきて,本格的な芝居を見せていました。江戸時代には歌舞伎だったのですが,明治以降は,新派劇・喜劇なども行っていました。長くても3日間ぐらいの興行で,見物料金は「むしろ」1枚いくらで支払っていたそうです。ひいきの役者には,花を打っていました。この時は,遠く多度津あたりからも見物人が来ていたそうです。 ○出し物 忠臣蔵・仙台萩・大江山・菅原伝授寺子屋の場など ○その他 昔は,他の娯楽施設がなかったので,人々は重箱にお弁当を詰めて,それを食べたり,酒を酌み交わしたりしながら芝居を見たそうです。夕方6時頃から始まって,1幕1時間半ぐらいのものを数幕行っていたので,朝,日が昇り始めるくらいまでかかる芝居だったそうです。 回り舞台は,皿回し舞台といって,下にそろばんの珠のようなものがあって,足で踏むと簡単にまわる仕組みになっていました。 ぶどう棚は,はしごで登り,雪を降らせるときに使ったり,宙づりの時に使ったりしていました。 突き出し舞台には,つけ花道が付けられるようになり,見物席は,木烏神社の境内に幕を張り,むしろを敷き縄を張ってつくっていたそうです。 |
||
(参考:「地域から学ぶ本島の歴史と文化」本島小学校昭和57年刊)