東山城址
 東山は,本島の北東に突き出た,標高やく40mの小高い山で,大変見晴らしがいいところです。
 北は櫃石島(ひついしじま),岩黒島(いわぐろじま),東は与島(よしま)など,瀬戸大橋の架かる島々をはじめ,遠くは大槌島(おおつちじま)一目で見渡すことができます。
 塩飽島は,1200年以上昔は,近衛家の荘園でした。塩飽水軍の勢力が盛んであったこのころ,根拠地としてこの東山に城を築いたものだということです。東山の頂上は13アールほどの長方形の平らな土地になっています。その東南の一角には,方形に6~7mほど突き出た見張り台跡が残っています。見張り台のすぐ南側と頂上の北側には,幅約3m,深さ4~5m余りの空堀が掘られています。そして,南西から西側にかけて,高さ50~80cm,巾約2mの土塁が,約40mにわたって築かれていた跡が残されていて,土塁の西側は,高さ約8mの切り立った崖になっています。
 大小28の島々が点在する備讃瀬戸の地形や,複雑で速い海流の変化などを詳しく知っていた塩飽水軍は,この要害堅固な東山城を根拠地として瀬戸内海一帯に勢力をふるっていたのだと考えられます。
 何丁もの櫓を付けた船足の速い小舟を島影に潜ませ,見張り台からののろしの煙を合図に,潮の流れを利用して巧みにこぎ出し,内海狭しと漕ぎまわっていた塩飽水軍の勇ましい姿を思い浮かべることができます。
 今から400年以上前の戦国時代に,この東山城は,土佐の長曽我部氏によ攻め落とされたといわれています。そこで,笠島地区の人々は,お城の落とされた3月3日にはひな節句を祝わないで,八朔の日(旧暦の8月1日)の日におひなさまを飾っていたといわれています。

(参考:「地域から学ぶ本島の歴史と文化」本島小学校昭和57年刊)